kim1:ななしさん 2022/05/24(火) 21:36:18.73
[Dining Story] 私たちのソウルフード、キムパプのすべて、キムパプ材料の誕生から現在まで

※キム、金=海苔のこと。パプ=ご飯のこと。

-1994年ロンドン、キムパプの価値を初めて認知する

1994年、筆者は何かを得られるという「希望」一つだけを持って世界無銭旅行に出た。その始点であるロンドンで食べ物を手に入れるために偶然に入った日本食レストランに就業しながら、当時寿司と認識され、存在価値さえ論じられなかった大韓民国のキムパプの存在感に大きな衝撃を受けて、キムパプの体系を構築することを決心した。
そして今から約10年前、ドイツベルリンのファルケンゼーのある住宅で「キムパプ世界化」のビジョンを決定して、キムパプの体系化を構築するための基盤を準備した後、2015年に私財を投じてソウル市江南区トゴク洞に位置したタワーパレス近くの単独建物を賃貸、世界で初めてキムパプ専門教育機関である「ロックシェフのクッキングクラス」を設立して、キムパプ世界化の歩みを始めた。

ーグローバルスーパーフードに成長した大韓民国キムパプ

「BTSキム」がアーミー(※BTSファン)たちによって米国、日本、英国、オーストラリア、フィリピン、インドネシアなど全世界で発売されるやいなや品切れになるほど売れている。味付けキムを超えたキム菓子の形でも、世界中に新しい市場を創出して、輸出に大きな突風を起こしている。タイは韓国産キムの大きな輸入国となって、自国ブランドでキムスナックを作って、全世界に逆輸出するなど、キムはKフードの尖兵として大きな役割を果たしている。

最近、キムがブラックフードとして健康食品として注目されていて、同時にキムパプは代表的な健康韓食としてその位相を高めていて、焼いた紙を食べるという異常な食品扱いを受けた過去とは異なって、今はスーパーブラックフードという賛辞を受けている。また、21世紀の食品産業の黒い半導体という言葉が出るほど、大韓民国輸出の重点品目であり、グローバル食文化トレンドになった。

-消費トレンドに合わせて成長、キムパプ市場

(中略)

-基本材料さえ栄養学的

価値の高い大韓民国キムパプ

キムパプの形を固定させてくれる主材料である海藻類のキムは、赤い色を帯びる紅藻植物で一度焼くと、その特有の香りと味が良く栄養価も卓越して高くなる。
韓食に欠かせない助演であるご飯を担当する米は、単位重量当たりのカロリーが高く、人口扶養能力とエネルギー源の炭水化物として最も優れた穀物だ。「韓国人のご飯パワーは、コメのパワー」という話が訳もなくあるのではない。

キムパプの味の強い核心をつかむ甘じょっぱいタンムジ(※たくあん)は、特有の黄色い色でキムパプ断面の色も合わせてくれる二重的な効果を担当する。常にそれ自体を食べるわけではないが、どの食べ物も赤色で色の調和に大きな核心を担当し、味を離れ特有の食感を担当するホンダンム(※にんじん)はビタミンAの宝庫としても有名な健康野菜だ。タングンの愛称であるホンダンムの、「タン」は飴糖ではなく唐を指して、これは長い間、漢字文化圏で唐の字が中国を指す接頭辞のように使われたため「タングン」は「中国から渡ってきた根菜」、「ホンダンム」は「中国から入ってきた赤い根」という意味を持っている。




2:ななしさん
-その昔、より貴重な供応を受けた存在、キム

存在感に比べてその価値を認められなかったキムパプのキムは漢字で「金」と表現され、「キム」の名前だけを見ても食膳から占有する私たちのキムの地位は中国、日本とは確かに違った。昔の文献の記録を見ても、キムがどれほど上流層の舌をとりこにする非常に貴重な高級食品だったかを知ることができる。
高麗末に宰相を務めたモクは「この色は白い食器に青いキムが置かれたので食膳に花が咲いたようで、口の中には香りが漂う」と歌ったといい、「朝鮮王朝実録」ではキムは王室に送る貢物だったから、君主もキムでご飯を包んで食事を手にしただろうし、最初に海の村の住民が空腹を免れようと腰に縄を結んで取ってきた海の苔が変身に変身を繰り返し宰相と君主の食膳に上がったという記録がある。

-韓半島で始まった世界初の米作

1972年に韓国銀行から発行された50ウォン玉に刻まれた稲穂を記憶するだろう。コメは6500年前、全世界の多様な地域で同時多発的に栽培されて、4000~5000年前、インドのガンジス川流域を経て、中国南部地域で始まって、韓半島にはクリル海流に乗って移住してきた東南アジア人によって伝えられたと知られていた。その後、およそ9000年前、中国とインドの野生稲の近接関係性がコンピューター・アルゴリズム分子時計技法によって、明らかにもなった。

しかし、1994年忠清北道玉山面(オクサンミョン)小路里(ソロリ)旧石器遺跡から種籾11粒が出土したが、放射線炭素年代を測定した結果、1万3000~1万6000年前のことが明らかになった。これによって、2016年国際考古学会で稲作の起源を韓国と規定し、世界的考古学教科書として使う「考古学概論書」でもコメの韓半島起源を公式に認める歴史的事件が起きた。稲穂を図案して水稲農事の起源地が韓国であることを記念した50ウォンの小さな銅銭の意味を振り返りながら、世界初の稲作が韓半島で、それもまさに私たちが住んでいる大韓民国から始まったという点で、十分に誇りを持っても良い。ちなみに、東南アジア人移住説によると、陸稲農事は我が国にBC3500年頃、日本はBC1200年頃に伝えられたという。

-キムと類似した製造方法を持つ紙の歴史

韓国から日本に伝播される。

日本に紙が伝わったのも同じく、韓国の三国が仏教文明を伝えてからであって、日本はこれを通じて、王室で直接仏経を紙に筆写・普及しながら、中央集権統治国家を樹立したこれは多くの部族の首が上に立つ分裂した国から統一された日本へ発展するのに大きな役割を果たしたが、今日、世界一流の先進国になることにも、紙がその役割を引き受けたのだ。

昔、韓中日三国の文明伝播が仏教の伝播を通じて中国、韓国、日本に多く伝えられたように、2世紀中国・漢国の蔡倫が発明した紙は我が国に伝わった後、高句麗からニシジマ、新羅からエチゼン、百済オーサカの総ルートを通じて日本に伝わった。韓半島には中国よりも一層アップグレードさせた製紙術があったため、その歴史的基盤から見ても、類似のキムの製造技術も、韓国から日本に伝播されたものだと多くの歴史的資料に基づいて推測することができる。



4:ななしさん
-はるかに進んだキムと融複合された紙の製造技術から類推できる

韓国の海苔製造技術

私たちが現在食べている紙形の薄いキムは遠い昔からではなかった。SEAWEEDと呼ばれ、数多くの海藻の一つであるこの黒い海の苔から紙を作るということは、当時の状況で大革新的な思考と融合的な技術の変化が必要だったたことから、紙のキムを作ることは大変難しかっただろう。ところが、文献に16世紀初め、中宗頃にキムを混ぜて作る紙があった。「苔紙」という韓紙のうちの一つだが、字がよく書けて、特に強度が高く丈夫で当時最高級紙だったという。このような記録から見ても、キムの製造技術はそれよりも前に開発された可能性もあって、単純な紙のキムはそれより早く誕生した可能性もある。キムバル(※まきすのこと)の簾のような細い枠に、細かく粉砕した原料を載せて薄く漉く紙製造技術は、キムを作る技術と非常に似ているという観点と、製造技術的な面からキムの製造方法に大きな影響を与えた可能性が高い。

-文献で検証されたずば抜けて進んだ大韓民国のキムの歴史


キムパプが韓国固有の食品だという主張は、キムの歴史からその根拠を見つけることができる。1985年発刊された日本のオオフサツヨシ博士が著した「海野菜」という本で、日本は江戸時代(徳川時代)の享保初期からキムを食べたと記録している。18世紀初めから半ばにかけてキムを採取したり、養殖してキムを利用した食品を作ったと推測できる。

これに反して韓国でキムが文献上で初めて登場した最初の史料は、1281年高麗忠烈王の時、一然僧侶が編纂した「三国遺事」に新羅時代から「キム」を食べたと伝えられている。

1424年に慶南監司の河演が編纂した地理本である「慶尚道地理誌」でも、キム養殖の起源が現れるが、その内容を見ると、「河東(ハドン)地域の伝来によれば、約260年前に一人のおばあさんが蟾津江(ソムジンガン)河口で貝類を採取していたところ、キムがたくさん着生した木片が流れてくるのを発見し、それに付いているキムを取って食べたら、味が非常に良かった。その後、竹木を水中に立て、人工的にキムを着生させた場所から始まった」と書かれている。

1429年「世宗実録」には、朝鮮時代の明国に送る進上品のうちの一つとして海衣(キム)が記録されており、1481年に完成した地理書である「東国輿地勝覧」には、全羅南道光陽郡(クァンヤングン)太仁島(テインド)の特産物として採取したという記録が残っている。

1578年には中国明の南京で完成し、1596年(万暦23年)、イ・シジンによって編纂された薬草学の研究書であり、博物辞典でもある「本草綱目」を見ると、「新羅の深い海の中で採取するが、腰に縄を縛って深い海の中に入って採って来る。4月以降は、大魚が現れて邪魔するから採取できない」とキムについて伝えている。

1650年頃、茶山チョン・ヤギョンが著した「経世遺表」という古書から光陽(クァンヤン)でもキムを採取したという記録が見られる。19世紀末の朝鮮末期に編纂された料理本、「是議全書」にはキムパプに似たキムサム(※サムは「包む」。)について、「キムを手でこすってかすを取る。手入れしたキムを膳の上に広げておき、キジの羽で油を塗って塩をパラパラ振りかけて置いた後、焼く。 四角く切って、真ん中に串を刺す」と調理法が記されている。

1924年の「朝鮮之水産第2号河東海苔養殖沿革の記録」には「今から300年ほど前に観察士がこの地を巡視する時、太仁島東側の葛島の人々が観察士随行員からその養殖および製造方法を伝授されたと伝える。」となっている。

このような、韓日間に存在する多様な歴史的記録を照らしてみると、キムが日本から始まったという根拠は、そのどこにも見当たらないので、キムが韓国が元祖だということで強い誇りを持ってもよさそうだ。


5:ななしさん
―世界最初となる大量のキム養殖を成功した金海金氏のキムヨイク(金汝翼)先生

「キムを初めて養殖して、またキム養殖法を創案した」という事実は、朝鮮時代の「海隠」キムイクギョン(金益慶)の金海金氏の四軍派、監務公派の系統である26世孫の金汝翼(1606~1660)先生の全羅南道光陽に位置する金始殖地にある墓標(全羅南道記念物113号)に書かれた「始殖海衣」と「又発海衣」から知ることができる。つまり、この時、世界最初の大量のキム養殖があった。

1650年頃、全羅南道(チョルラナムド)霊岩郡(ヨンアムグン)西湖面(ソホミョン)の夢海(モンヘ)で生まれ、丙子胡乱で清との屈辱的和議に憤慨して、光陽(クァンヤン)の泰仁島(テインド)に移住、隠遁したキム・ヨイクは実事求是精神が透徹した人物だ。太仁島でキム養殖を初めて始殖する前は天然産の岩キムだけだったが、島の海辺に押し寄せてきた竹にキムがついているのを見て、松と栗の枝を活用する方法で養殖法を考案し、キム養殖を始めた。

朝鮮16代仁祖は、食膳に真っ黒で紙のような飯饌のキムを見て味がとても良くて名前が何なのか尋ねると、人がいなくて一人の臣下が「光陽の地に住むキム某が作った食べ物です」と告げると、王がその席で、今後この「海草」をその人の姓を取って「キム」と呼ぶようにしたのが「キム」の語源だという。

-先祖代々キムと類似した形で好んできたサム文化


このような歴史的記録からも分かるように、古くからキムは存在しており、しかも私たちには昔も今も、韓国の固有の食文化である「サム(※包む)」文化がある。したがって、キムをご飯に包んで食べる文化が自然に存在したことを類推することができる。「ポク(福)を包んで食べる」という意味のポッサムは、小正月に福と豊作を祈る意味で食べる別食だった。

1285年、三国遺事(高麗忠烈王11年)の記録に、ポッサム(ポクリ)と言って、小正月にチュイナムルや白菜の葉、そしてキムにご飯をのせて包んで巻いて食べるのは新羅時代から始まったと記録されている。1819年刊された「洌陽歳時記」と1849年の「東国歳時記」によると、白菜の葉に海苔とご飯を包んだ食べ物が「ポッカ」、「パクジョム」、「ポッサム」という食べ物で存在したと出ている。

田舎では昔、野積サムをたくさん食べてこそ、その年の農作業がうまくいくと信じていたが、キムに包んだポッサムをたくさん食べると稲俵をたくさん食べたとみなし、「稲俵をたくさん食べたので、今年の農作業はうちが最高」と自慢したほどだった。特にこの時、包丁やハサミで切ると稲の首を切って農作業を台無しにすると言って、キムは手で大体切って食べなければならなかったという。全羅北道の高敞(コチャン)では、五穀米を炊いて城主の前や甕台に五穀米をキムに包んで載せる「露積重ね」という風習もある。

「海野菜(※前述、オオフサツヨシ著)」では、18世紀前半からキムを食べ物として活用したと出ている。

これに比べて、我が国は三国時代からキムを食べており、普遍的にキムを活用した朝鮮時代の事実的記録を基盤に判断してみると、我が国がはるかに先立つしかなかったという自然な推論が、果たして筆者のみが可能なのかという観点から、私たちはキムパプに対する日本起源説を考える必要がある。さらに一歩進んで、初期形態の韓国のキムパプが朝鮮時代頃に日本に伝えられた後、日帝期に新しい形態で我が国に逆輸入されたという主張もある。いずれにしても、キムパプの日本由来説は明確な根拠もないだけでなく、論理的にもかなり無理がある。

キム・ラクフン:現在、大韓民国キムパプフォーラム議長、大韓民国キムパプ広報大使と全羅南道高興郡広報大使として活動している。

ホテルレストラン(韓国語)から一部抜粋
http://www.hotelrestaurant.co.kr/news/article.html?no=10568

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10:ななしさん
>>1
海苔巻きのパクりがどうした???

12:ななしさん
また嘘ついたんか(´・ω・`)

17:ななしさん
マジで馬鹿みたい
嘘ばっかりで虚しくないのか

19:ななしさん
海苔巻きを昔からあった事にする。
まで読んだ。

32:ななしさん
長すぎて読む気がしないけど、どーせアレなんでしょ?

37:ななしさん
よくここまで妄想を膨らませるな

71:ななしさん
バカチョン哀れ

126:ななしさん
この間までノリマキって呼んでただろうに、もう忘れたんか?

127:ななしさん
パクリと成りすましが得意だな

14:ななしさん
嘘つきは説明が長い