4f8c87251:ななしさん 2023/02/28(火) 10:07:36.56
ハンギョレ 2023-02-28 08:58

日本陸軍省からコンドーム100万個空輸 

「慰安所の許可から休業規定まで日本軍が直接統制した記録数多く発見」

「日中戦争と太平洋戦争当時、日本軍部隊が残した陣中日誌(以下日誌)を探し出して、ほとんど目を通しました。日誌を検索し本を書くのに15年もかかりました。これまで読んできた日誌だけで数万ページを超えています」

 日本史が専門のハ・ジョンムン韓信大学日本学科教授は2008年頃から、日本が日中戦争を起こした1937年から敗戦した1945年まで侵略のために編成した軍部隊の陣中日誌を見つけては、その中から慰安所に関する内容を抜粋する単純で機械的な作業を繰り返した。主に大学の夏休みと冬休みに、日本が2001年に開設したアジア歴史資料センターで日誌を検索した。日誌は日本軍中隊(独立小隊含む)以上の部隊が義務的に作成した記録物で、今は米軍からの鹵獲品(ろかくひん。戦争で敵から奪ってきた兵器や補給品など)を中心に約10%未満のみ残っている。

 ハ教授が明らかにしたこの作業の目標は「日本軍が設置・管理した慰安所が今も存在する軍基地付近の売買春施設とは異なり、日本軍の組織体系と作戦に深く結びついた軍事施設だったことを論証すること」だった。「日本は河野談話で慰安婦問題に日本軍が直接・間接的に関与した点は認めましたが、慰安所を軍施設として認めていません。軍医が慰安婦の性病の検診を行った事実程度を認めただけです」

 これまで15年間にわたる研究結果をまとめた分厚い著書『陣中日誌にみる日本軍慰安所―日本軍「慰安婦」問題解決の突破口を開く』(ヒューマニスト)を発表したハ教授に、21日、ソウル孔徳洞(コンドクドン)のハンギョレ新聞社で会った。

 ハ教授は、日本軍が慰安所の設置と運用に関与した痕跡をよく示す日誌として、1938年1月10日、中国江蘇省の省都、鎮江市に進入した上海派遣軍隷下第4師団第68連隊第3大隊が残した記録を挙げた。第3大隊は駐留2日後の12日、第3師団参謀部より「慰安規定ノ件」について電話連絡を受け、約1カ月半後の2月28日、「戦場慰安所規定」を作って兵士たちに配布した。最初の慰安所出入りは2月1日に行われたが、日誌にこのように記録されている。「本日本部機関銃中隊大隊砲小隊ノ外出ヲ許可シ慰安所ヲ利用セシム 」。慰安所開設の許可および監視監督は、戦場駐屯地司令官の方針によって憲兵隊が務め、慰安所は毎月15日と金曜日は午後5時まで休業だった。

 「日誌には日本軍が慰安所の承認など大きな権限を持つことはもちろん、慰安所の休日や営業内容も統制していたことを示す記録が数多く残されています。慰安所は日本軍部隊の規定と連係して設置され運営された『日本軍施設に近い附属施設』というのが私の結論です」。研究目的を成し遂げたのかという質問に、ハ教授はこう答えた。

 ハ教授は著書で、上海派遣軍が1937年末、中国南京の陥落を控えて慰安所の開設を進め、陸軍省にコンドーム100万個を要請して届けてもらった事実も初めて明らかにした。「コンドームの空輸は陸軍省が慰安所の開設に積極的だったことを示す決定的証拠です」

 日本軍の「慰安婦」は「性奴隷」だったというのが国際社会の一般的な認識だが、日本はこれを認めていない。「1940年、中国湖北省唐陽に駐留した部隊慰安所配置図を見ると、慰安所を囲んで鉄条網の表示があり、この周辺を歩哨が守るようにしていました。慰安婦たちは鉄条網の中だけ歩き回ることができました。部隊の給料日には一日数十人を相手にしなければならず、彼女たちには『お客さん』を拒否する権利もありませんでした。(慰安婦は)戦争遂行のために企画された日本軍システムで稼動した『性奴隷』でした」

http://japan.hani.co.kr/arti/culture/46040.html

続き






2:ななしさん
つまり職場だったんだな

6:ななしさん
休日が保証されている奴隷…

8:ななしさん
強制の根拠は無いのかな?
自由な売春婦を雇っただけだろ?

15:ななしさん
永久に非難するつもりだろうな

29:ななしさん
冫(゚Д゚)  奴隷に休日ってあるん?

35:ななしさん
慰安婦が売春婦だった証拠は山ほどある

43:ななしさん
ちゃんと病気などを配慮した、売春宿だった証拠だよね?
どこに強制があるのか?どこに残虐性があるのか?
全くわからん。

63:ななしさん
きちんとコンドーム支給して管理してるのに性奴隷?

159:ななしさん
性奴隷にコンドームを使用
人権意識が高いね

177:ななしさん
ベトナム戦争での韓国軍の管理体制が知りたいです

201:ななしさん
韓国軍の慰安所も検証しろよ