大韓民国憲法第3条は「大韓民国の領土は韓半島とその付属島嶼とする」と明示している。
三国時代から朝鮮時代まで大韓民国領土と関連した内容を取り上げると、あまりにも多くの紙面を割かなければならないため、朝鮮時代世宗大王元年の対馬島関連領土について少し言及してみる。
国際的に日本の略奪根性と野蛮的行為で直接的な被害を受けたのは、最も近接にある大韓民国であることを否定することはできない。
世宗大王は、大韓民国南海島嶼地方での日本人の無法天地が日常化し、特に対馬島を拠点として繰り返される略奪が日常で、1419年にイ・ジョンム将軍をもって、対馬島での日本人の無法行為を断絶させた。この席で島主は臣下の道理を尽くすと誓約までしたという。
日本の将帥豊臣秀吉が朝鮮侵略をするために日本武将に命令して作った地図『八道全図(1592年以前)』、これは朝鮮八道を示す。この地図に独島と対馬島を朝鮮の領土と表記し、侵略の対象と明示している。
朝鮮500年間、対馬島の島主は朝鮮の王から官職を受けたという記録が数多くある。1830年に日本で作った朝鮮国図を見れば鬱陵島、独島、対馬島が朝鮮の領土と表記されていて、1855年英国地図、1865年米国地図など、多くの韓国内外の歴史記録文で、対馬島は明確に大韓民国の領土だ。
1734年フランスで作った韓国領地図でも対馬島を「TWI-LI-TAU」と表記し、韓国領とした地図がある(この内容は2005.4.28『聯合ニュース』で発表されたことがある)。
日本が直ちに対馬島を大韓民国に返還しなければならず、これ以上反論できない文書がある。調べてみよう。
日本は1861年、米国と領土問題で紛争をした地域がある。その名は「小笠原」群島だ。米国が1853年無人島小笠原群島を占領し植民地化した。これを日本が1861年に気づいて、米国に『三国接壌地図』(日本語筆写本)を提示し、小笠原群島の返還を要求したが、米国はこの地図が日本が作ったものだとして返還を拒否した。
日本は再び原本である『三国接壌地図』(フランス語版、1832年)を提示し、米国に小笠原群島が日本の領土であることを認められた。米国は国際的に認められた地図なので、これ以上拒否できず、小笠原群島は1876年に正式に日本に編入され、太平洋戦争後1946年から米国によって統治されてきたが、1968年に日本に返還された。
韓国が、なぜフランスが1832年に製作した『三国接壌地図』を黙過できないかというと、日本が国際的に小笠原群島を米国から正式に返還された決定的根拠地図である訳で、この地図には鬱陵島、独島、対馬が朝鮮領土と明示されたというのだ。対馬島が大韓民国の領土だということに、これ以上何が必要なのか反問してみる。
日本の数え切れない歴史歪曲で、現代史でも私たちは丸ごと振り回されている状態だと考えればいい。
この対馬島の地図に対する日本の低劣で卑劣な蛮行をありのままに記してみると、小笠原群島紛争当時活躍した日本人「タナベ」は1868年フランス大使として活動し、1868年対馬の日本帰属を控えて、対馬島が朝鮮領土と表示され配布したクラプロートの『三国接壌地図(フランス語版、1832年)』の収集廃棄をし始めた。
そして対馬島が日本の領土という偽造本を作った。国際情勢に劣悪な朝鮮は、これを阻止する能力も対抗する国力自体すらなかった。 (中略)
世界の様々な国家の歴史が克明に語っているのは、自ら立ち上がることができなかったり自強しなかったりすると、地球上で消滅するのだ。米国が日本に大韓民国に対馬島を返還しろと言った時、日本が渡せない理由は、大韓民国はまだ力がない国であるためと言ったという。
大韓民国は今でも力がなく劣悪な国なのか。なぜ対馬島を渡せと李承晩大統領が一度や二度でもなく数十回も要求をしたというのに、昨今の政府はただの一度も対馬島を返還しろと言えずにいるのか。国民の一人として第20代政府に注文する。直ちに日本に対馬島返還を求めよ。
http://www.newstheone.com/news/articleView.html?idxno=104489
キチガーイ国家だバーカチョンチョン♪
もう韓国とは戦争で良いだろ