では、なぜ「集団の狂気」は朝鮮人と中国人に向けられたのか。
大震災だけが要因ではない。当時、大日本帝国が満州、そして朝鮮半島など、大陸への侵略を遂行するなかで、国策である侵略を邪魔するものは殺してもかまわないという「侵略という狂気」があったからではなかったか。それは常に、侵略された側からの逆襲を恐れ、やられる前にやらなければという心理も生んだ。
日本政府は今も真相究明から逃げている。虐殺から学ぶことをせず、認めもしない。そのことがわたしにとっての恐怖だ。
朝鮮人とわかれば殺されるという「体験」は、生き残った家族に後遺症をのこした。在日コリアンの多くが本名を隠し、ルーツが知られることを恐怖する。隠すことは、まるで嘘をついているような後ろめたさを伴う。今も在日コリアンの自殺率が高いのはなぜか。トラウマを抱えた親に育てられた世代も日本社会に恐怖を抱いている。
父・崔昌華牧師(1930~95年)は、わたしがまだ小学生だったころから「日本人との結婚は絶対に許さない」と言い続けた。「隣人を愛せよ」と言うべき牧師でありながら。父自身、牧師の研修旅行で、同室になった日本人牧師に「日本人と同じ部屋で寝るのは怖い」ともらすほどだった。
作家で在日コリアン2世の朴慶南さんの祖父は、震災時、浅草で自警団による“朝鮮人狩り”に遭い、殺されそうになった。身近な親族の体験を知り、慶南さんは「ワッショイ、ワッショイ」と練り歩く「祭りの集団」の熱気にさえ、恐怖を感じるようになったという。
実際、熊本には1990年まで「ボシタ祭り」があった。これは豊臣秀吉の文禄・慶長の役で加藤清正らが「朝鮮を滅ボシタ」と凱旋したことを祝い「ボシタ・ボシタ」と連呼する祭りで、400年来続いていた。が、朝鮮侵略を称え、朝鮮人蔑視につながると父や諸団体が抗議してかけ声は中止された。
父は臨終の床で若い日本人の記者にこう告げた。
「『共生』は日本人の方から手を差し出してほしい、社会は闘えば変わるんだよ」
(週刊金曜日)
https://news.yahoo.co.jp/articles/2d18550b4690c143e12719ed6760e5896b9d5ab0